仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)

0

    いきなりで恐縮ですが、日本に古墳はどのくらいあるでしょう。

      1800基   ◆12000基    20万基

     

    う〜ん、20万は違うとして、1800? 12000?  どっちだろう?

    とお考えの方多いのではないでしょうか?

     

    正解は20万基です。  え〜嘘でしょう。そんなにはないでしょう!

     

    ところがあるのです。以下は堺市の観光資料からの抜粋です。

     

      今から1700年程前の3世紀から7世紀の400年間、大王や王が亡くなると、

      土や石を使って高く盛った大きな墓を造りました。今この墓を古墳と呼び、

      造っていた時代を古墳時代と呼びます。

      全国に20万基以上はあると言われる古墳の中で、日本最大の古墳が堺市に

      ある仁徳天皇陵です。

     

    行ってきました。仁徳天皇陵

     

    陵墓の正面に鳥居が建っています。

    鳥居は神域と人間が住む俗界を区画する結界ですから中に入ることはできません。

     

    古墳の広さは濠を含めると、約47万平方キロメートル(甲子園球12個も造られる)、

    墳丘の全長は、486メートル、

    古墳を上空から見ると、円と四角を合体させた前方後円墳、

    墳丘の周りには、水を湛えた堀(濠)が3重に巡っています。

     

    1日、2000人の人々が働いたとして、15年以上かかったと推測されています。

     

    堀の周囲は歩道が整備され、1周2800メートルを散策することも、サイクリング

    することもできるようになっていました。(半周だけ歩きました)

     

    墳墓にはこんもりと新緑の木々が茂り、堀(そんなに深くなさそう)には亀や鯉の姿

    が、そしてそれらを狙うシラサギやアオサギのゆったりした姿も見受けられました。

     

     

    古墳の北には反正天皇陵古墳と、南には履中天皇陵古墳がありますが、百舌鳥耳原三陵

    として宮内庁が管理しているため中に入ることはできません。

    (発掘したり、科学の目で調査出来たらいいのに〜と思うのですが?)

     

     

                 堺観光コンベンション協会のパンフレット から

     

     

     

    百舌鳥古墳群・古市古墳群について調べてみました。

     

        4世紀末から5世紀にかけて、中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んになると、

        難波津から奈良盆地へといたる「単比道」や「大津道」といった道路が整備され、

        藤井寺市と羽曳野市にまたがる古市地区、堺市にある百舌鳥地区は二つの道路で

        繋がっていました。

        両地区では巨大古墳が造営されはじめ、大小あわせ90基もの古墳が集中していた

        そうです。

     

        難波津は今の大阪市法円坂付近(上町台地の西端)にあり、 大陸文化の入り口でした。

        5世紀ころの海岸線は、海抜3メートル付近にあり、百舌鳥古墳群は海に面していたと

        いいます。

                    以上seibido mookの「図解・古代史」から

     

     

    奈良盆地と大阪平野がそんな風に繋がっていたとは、方向音痴・歴史音痴の私には驚きです。

     

     

     

    被葬者とされる仁徳天皇とはどんな人物?

     

    日本書記や古事記によれば、「集落の人家から飯を炊く煙が上がっていないのを見て、民衆の

    窮乏を知り、税や課役を免除して自ら倹約に努めた聖帝」となっていますが(小学校で習った)

    実際にはどんな人物か特定できていないようです。

     

    中国の歴書(宋書)に倭の5大王という記述があるそうですが、ここからも特定できないとか。

     

     

     

    いずれにせよ、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵、そして仁徳天皇陵古墳、

     

    世界3大墳墓の一つといわれるだけの規模はありました。 荘厳さも感じることができました。 

     

     

    午後からは、聖徳太子陵墓へ行って来ましたが、それについては又後日ご報告させていただきます。

     

     


    コメント
    yamaniwakotori 様
    コメントありがとうございます。

    堺市は「仁徳天皇陵」と言っているようですが、他では「大仙御陵」の方が一般的なようですね。御陵の一部が崩れた時、掘り出されたものと、天皇の死亡時期がずれているとか、

    天皇家のものなので学術調査が進まないとか聞いています。現代のように時代を特定する方法が進化しているのに、明らかにしないのは不思議ですね。
    高槻・茨木は古墳の宝庫のようですね!
    • 遊山
    • 2017/05/29 10:45 PM
    遊山さま

    20万基とは驚きです。
    仁徳陵のように概要の伝えられているものから名もなきものまで無数に力のある人がいた、、。
    仁徳履中反正陵は我が町にあったとする説もあるようですね。
    継体陵が茶臼山ではなく今城塚だとするのも史料館で近年知りました。
    史跡から小さな根拠を繋ぎあわせ証明したり仮説を立てたり、想像する泉はこんこんと涌き出ているのですね。
    遊山さまの知的好奇心の泉も。

    • yamaniwakotori
    • 2017/05/28 7:03 AM
    コメントする








       

    profile

    profilephoto ■ニックネーム 遊山 ■住んでるところ 大阪府   60歳まで福祉畑で仕事していました。 70歳を過ぎた現在は、夫と100歳になる実父との超高齢世帯です。 京都に近い北摂の山間部で生活しています。恵まれた環境ですが少し不便です。 旅行が好きでスケッチ旅行に何度か海外へ行きましたが、介護が始まってからは、もっぱら京都や奈良の美術館巡りです。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥、昆虫などの紹介をしたいと考えています。 写真は素人ですが、さりとて上手な絵が描けるわけでもありません. 時々「へたな横好き」のスケッチをupしたいと思います。

    最新の記事

    カテゴリー

    archives

    recent comment

    links

    profile

    search this site.

    others

    mobile

    qrcode