おさん茂平の逃避行

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    前回、初田古墳を紹介した時「意外な物」発見と書きましたが・・・・

     

     

     

    上の写真がその時発見した石碑とお墓です。

    石碑は「南無妙法蓮華経」と読めますし、ここで二人は心中したと説明してあります。

     

    しかしWikipediaで「おさん茂平」を調べますと、史実は少し違うようです。

     

    要約しますと、

     

     おさんは「大阪小町」と呼ばれるほどの美人であった。

     美貌ゆえ、14才の時京都の「大経屋」へ乞われて嫁ぎます。

     (大経屋は当時暦を造っていた豪商。夫は30才年上であった)

     その後、丹波から丁稚としてやって来た美男子の茂平と恋仲になります。

     やがて夫の知るところとなって、二人で茂平の郷里へ逃亡します。

     丹波に潜伏していたものの、役人に捉えられて洛中引き回しとなり、

     天和3年(1683)京都粟田口で磔となって、ともに処刑された。

    とあります。

     

     

    この実話を下に、井原西鶴は「好色五人女」を書きあげ、近松門左衛門は

    浄瑠璃「大経師昔暦」を書き表わし、共に大評判になったということです。

     

    戦後は「近松物語」として映画になり、長谷川一夫と香川京子が演じたと

    説明がありました。(残念ながら見ていません)

     

     

    磔になる実話より、この国見峠で心中する話の方がロマンがあっていいと思うのですが、

    如何でしょう?

     

    いずれにせよ、二人がこの国見峠を通って丹波に逃げたのでしょうね。

    後日、処刑された話を聞いた近隣の人が、この碑やお墓を建てたのでしょうか?

     

     

    姦淫罪が廃止されたのは、なんと1947年(昭和22年)といいますから驚きです。

     

     

     

     


    コメント
    yamaniwakotori様

    わがまち茨木の、民話・伝説編を読みますと、ストーリーはなかなか込み入っています。言い伝えと言いながら、近松の浄瑠璃が下敷きにあるように思われました。
    それにしても、国見峠には茶店もあったと聞いてますが、昔は人通りも多かったのですね。
    そんなに大昔でもありませんのに、隔世の感がありますね。
    • 遊山
    • 2017/07/14 4:37 PM
    「おさん茂平」の道標を横目にずっと通過しておりました。
    このような伝承があるとはつゆ知らずに。
    私の子どもの頃までは、妙見山信仰はたいへん厚く各地から参詣する大勢の人で賑わっていましたが、近年はすっかりさびれていると聞きます。
    またサニータウンができるまでは「国見峠は追い剥ぎが出る」祖母たちはよくそう言っていました。
    国見峠 千提寺 多留見峠を通って丹波に逃げる若い二人の足取りを想っています。

    • yamaniwakotori
    • 2017/07/13 9:06 AM
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    名前を遊山といいます。   大阪府の北部に住んでいます。 京都にも近い山間部です。 近くには安威川が流れています。 川向うは高槻市になります。
    福祉施設の現場や学校などで介護を中心に60才まで就労しました。 今は家人と晴耕雨読の生活です。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥のこと、加えて地域の行事や小さな旅行など 紹介できたらと考えています。

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