古墳と埴輪

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    [埴輪が語る茨木市の歴史]と題した郷土史教室講座に出席してきました。

     

    茨木市立文化財資料館が主催です。講師は同資料館の竹原千佳先生でした。

    実は私が以前40年ほど住んでいた住宅地は、古墳を開発した地区でした。

    現在住んでいる地区は、安威古墳群と言われる地区の真っ只中にあります。

    古墳から埴輪が掘り出されていることは知っていましたが、知識は0です。

    そんなこんなでこの講座を受講してきました。学んだ事と数冊の資料から

    少しまとめてみました。

     

     

      3世紀中頃から7世紀初めごろまでの350年間を古墳時代と呼びますが、この間に

      北海道と沖縄を除く日本列島において約5200基もの古墳が築造されました。

     

      前方後円墳を中心とした古墳の築造によって、有力首長の政治的な立ち位置を示し、

      また有力首長間の関係性を示した時代と言えます。

      従って古墳の規模や葺石、埋葬施設、埴輪などから被葬者の政治的性格が伺えます。

                               (当日配布された資料から)

     

     

    茨木市および、隣接の高槻市一帯は「三島古墳群」と呼ばれています。

    (下図は、配布資料の印刷が判読しずらいものでしたので私が写して書いたものです。)

     

           

     

      淀川の左岸にあたるこの地域には、山間部から幾本もの川が流れ出しています。

     (大部分はやがて淀川に合流)

      その丘陵地帯から平野部にかけて、数多くの古墳群や大きな前方後円墳等が見られます。

     


           茨木の古墳

     

    4世紀代の古墳として

    安威川流域では、安威0号墳、安威1号墳、将軍山古墳、紫金山古墳が見られます。

     

    安威0号墳は、直径15メートルの円墳です。

           墳丘は自然の地形の上に2メートルの盛土をおこなっていました。

           ここから埴輪は出ていませんが、平縁四獣鏡が出ています。

           

           

              写真は「茨木の歴史」から  平縁四獣鏡

     

     

          

    安威1号墳は、直径45メートルの前方後円墳です。

           壺型埴輪が出ました。

           0号墳のすぐ東にあります。

           現在、茨木市立北陵中学校の構内に保存されています。

     

           

            壺型埴輪                     wikipedia  から

     

    将軍山古墳は、全長107メートルの前方後円墳でしたが、

           開発されて住宅地となってしまったため、住宅地北側の山の頂に、

           竪穴式石室のみが移設されています。

           古墳から、壺型埴輪円筒形埴輪が出ています。   

     

           

           円筒形埴輪   Wikipedia  から

     

     

    紫金山古墳は、全長110メートルの前方後円墳です。

           鰭付円筒埴輪が樹立していましたが、壺型埴輪は出ていません。

     

           

           鰭付円筒埴輪  宮内庁ホーム・ページ から

     

     

     

     埴輪が何故造られるようになったのか、面白い話を聞きました。

     日本書紀の垂仁紀に、次のような話が掲載されているそうです。

     

        垂仁天皇のお后、日葉酢媛命(ひばすひめ)が亡くなられた時、

        殉死(当時の風習)の習慣は良くないのでどうしたものかと天皇が問われたそうです。

        野見宿禰(のみのすくね)が土物(はに)を造ることを提案、

        馬や人の形を土で作り、これを墓に備えた。

     このことにより野見宿禰は、土部の長に任命され、土部臣と称するようになったとか。

     

       講義のまとめ (配布文書より) 

     

    仝妬は生前造墓である。

    ∩以後円墳を頂点にした墳墓造営によって有力首長の政治的立ち位置が伺える。

     

    0属匕妬や将軍山古墳のように壺型埴輪を樹立したまとまりがある。

     

    せ膓盪蓋妬のように円筒埴輪を中心にした、壺型埴輪をもたないまとまりがある。

     

    ザ畧椶靴臣楼茲如且つ同時期であるにもかかわらず、埴輪の様相がことなるその背景には、

     勢力母体が異なる可能性が考えられる。

     

    Γ汗さ中ごろは、同じ地域内であっても中枢の政権とは独自につながり、必ずしも同じ方向を

     向いていたわけではないことが分かる。

     

    大変興味深い講座でした。┣鵐轡蝓璽困任垢、次回は「青銅器の生産体制の変遷」です。

    受講できましたら、またご報告させていただきます。

     

    ブログを書くにあたって参考にした著書

      茨木市教育委員会 茨木市選挙管理委員会 発行 「茨木の歴史」

      郷土史発行委員会            発行 「安威郷土史」

     

     


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    profilephoto ■ニックネーム 遊山 ■住んでるところ 大阪府   60歳まで福祉畑で仕事していました。 70歳を過ぎた現在は、夫と100歳になる実父との超高齢世帯です。 京都に近い北摂の山間部で生活しています。恵まれた環境ですが少し不便です。 旅行が好きでスケッチ旅行に何度か海外へ行きましたが、介護が始まってからは、もっぱら京都や奈良の美術館巡りです。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥、昆虫などの紹介をしたいと考えています。 写真は素人ですが、さりとて上手な絵が描けるわけでもありません. 時々「へたな横好き」のスケッチをupしたいと思います。

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