法隆寺の仏像

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    何年も前から願っていた法隆寺へ友人と行ってきました。

    世界文化遺産になっている法隆寺を私がここでご紹介するのはとても難題です。
    テレビで何度も取り上げられていますし、本もたくさん出版されていますからね。
    何からご報告するのがよいでしょうか?
    まず仏像からお話しましょうか。

    法隆寺と言えば、やはり釈迦三尊像でしょうね。
    美術や歴史の教科書には必ず載っているかの有名なご本尊です。
    飛鳥時代に建てられたは金堂の中にいらっしゃるのですが・・・、
    堂内はうす暗くて、しかも撮影禁止。
    パンフレットから拝借しましょう。



    予想していたより意外と小さい。
    釈迦は大きい方だったので、丈六といって一丈六尺に作られることが多いそうですが、
    この仏像の座高は90センチ、聖徳太子を模して作られているからだそうです。
    光背に刻まれた銘文によると、太子の没後西暦623年に完成し、製作者は止利仏師。

    お顔は面長で、体つきはまことに痩身。(正面から見る、飛鳥時代の特色)
    これは中国・北魏の時代の仏像によく似ているそうです。
    衣装は台座から長く垂れて固くこわばった感じ、(二等辺三角形になっています)

    天井からは天蓋が3つ吊り下げられているのですが、それでも仏像はかなり埃まみれ。
    筆でも使って優しくお掃除してあげたいと思うのは、主婦の感覚でしょうか?

    太子2歳の時,合掌した手の間から釈迦の舎利がこぼれ落ちたそうで、(生まれ代わり)
    太子自身が信仰の対象となり、日本で初めて作られた仏像です。



    次にご紹介したいのは、五重塔の初重(1階)の内部にある塔本塑像です。

    初重の東西南北の壁には、土で山を築き、仏教を説く重要な場面が表現されています。
    (中国で南北朝から随、唐にかけて塑像群像が寺院に多く作られた。その影響による)
    塔北面には、涅槃に入った釈迦の死を嘆く群像・待者像があると聴いておりました。

    しかしお堂の中は暗く、金網越しには悲しみどころか像そのものも見られませんでした。
    下の写真は以前NHKテレビで放映されたものを、私がカメラに収めていたものです。


    悲しみを顔いっぱいに表した普通の人間の表現は心打ちます。
    まるで現代彫刻のようですね。


    次にご紹介するのは、法隆寺で最も人気の高い、百済観音
    (この写真もテレビからです)

    平成10年に完成した百済観音堂の中におられます。
    なんと優しい表情でしかも気品のあるお顔でしょう!

    江戸時代より前の像に関する記録がないので、この仏像も謎に包まれておられます。

    百済から送られたという記録もがあるそうですが、樟(くす)の木の木心乾漆像です。
    樟の木に仏を彫るのは日本だけの習慣だそうですから矛盾するわけですね。

    髪もカールして肩にかかっていますから、どちらかと言えばインド風です。
    右手は与願印を示し、左手は八巧徳水の入った水瓶を持っておられます。
    (観音は釈迦が悟りを開かれる前の王子のお姿なので、装飾が多いそうです)

    時代を経たこの仏像の色合いの優しさはなんとも言えません。
    時間が許せば1日でも見ていたい思いでした。

    下の図は切手になられたお姿です。




    最後にご紹介したい仏像は、夢殿の中にいらしゃいます。



    救世観音(くせかんのん)です。

                                             写真は救世観音写真集から

    現存する最古の木彫で、やはり樟(くす)の木で作られています。
    それにしても、金箔の色が鮮やかですね〜。

    この絶対秘仏、厨子の中で1000年の眠りについておられました。
    その習慣を破ったのは明治初期、東京大学の教授であった米国人アーネスト・フェノロサ。
    法隆寺さんは「開扉すると地震が襲い、この世が滅ぶ」と強く抵抗されたそうですが、
    政府の許可証を示してやっと開扉にこぎつけたということです。
    開扉時、法隆寺側の僧侶達は恐怖のあまり全員逃げ出してしまったそうですが・・・。
    (歴史に詳しい友人の説明です。)

    像は木綿の布でぐるぐる巻きに保護されていたそうですが、布の長さは450メートル。
    (漫画の透明人間を想像しますね)済みません、不謹慎でした。
    現れた像を見て、あまりの美しさに立ち会った者はみな驚嘆し声を失ったと、フェノロサの
    記録にあるそうです。

    さらに不思議な事実。
    光背は背面に立つのではなく、像の頭部に打ち込んであるそうです。
    一体どんな意味が隠されているのでしょうか?
    残念ながら固く閉じられた扉の向こうを伺い知ることはできませんでした。

    救世観音、現在でも拝観できるのは春と秋の特別開扉の二度だけです。
    希望される方は調べてからお出かけください。


    如何でしたでしょうか、私の嗜好にあった報告になったしまったかなと心配しています。
    仏像と建物については法隆寺のホームページだけでなく、you tubeをはじめ沢山のサイトがあります。
    是非ご覧になってください。

    最後は、合掌 とするべきでしょうね。ではまた。

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    名前を遊山といいます。   大阪府の北部に住んでいます。 京都にも近い山間部です。 近くには安威川が流れています。 川向うは高槻市になります。
    福祉施設の現場や学校などで介護を中心に60才まで就労しました。 今は家人と晴耕雨読の生活です。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥のこと、加えて地域の行事や小さな旅行など 紹介できたらと考えています。

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