私と[暮しの手帖]

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    今、NHK の朝のドラマで大橋鎮子さん取り上げていますね。

    ご覧になってる方も多いのだと思いますが、私もその一人です。

     

    (以下の写真は、何年か前の暮しの手帖から切り取ってストックしていたものです)

     

     

    私が「暮しの手帖」に最初に出会ったのは高校へ入ってからでした。

    戦後爆発的に売れたそうですが、我が家では母が読んでいた記憶はありません。

    暮しの手帖に限らず、母の読書中の姿がなかなか思い浮かびません。

    いつだって母は縫い物をしていたように思います。

     

     

    私は昭和23年に小学校入学なのですが、小学校から帰っても、中学校から帰宅しても

    いつも縫い物をしている母がいて、横にあるのは本ではなく竹製のもの指しでした。

    (このもの指しでピシーとよく叱られましたが)

    女の人がまだ外で働くことは少なかった時代です、家計の足しに縫い物をしていました。

    読書が嫌いなのじゃなく、読書の暇がなかったのかもしれません。

     

     

    家に蔵書が沢山ある環境で育った方は幸せですね。

    我が家は子供向けの絵本は何冊ありましたが、蔵書というほどのものはありませんでした。

    私は虚弱児だったせいか、高学年になった頃から図書室へよく行く子供でした。

    高校生になって図書室が、図書館へと変化した時はなんとなく嬉かったですね。

    木造の古い建物でしたが、音楽堂の横にあり、木立に囲まれていい環境でした。

    蔵書もかなりありました。隨分通いました。

     

     

    そこでなにげなく手にとった1冊が「暮しの手帖」でした。

    服飾のページでモデルになっているのは、日本滞在中の外国人のご婦人のようでした。

    はっきりとは覚えていませんが、働く婦人のセンスの良い着こなしにあこがれました。

     

    料理のページも懇切丁寧で、しかも少しリッチな内容だったように思います。

    当時は図書館にコピー機がありませんでしたから、必死でノートに写したものです。

    デミグラスソースとかロールキャベツとか洋風な物は、そこで覚えたように記憶しています。

     

     

    結婚してからも暫くの間読んでいましたが、何しろ狭い家ですからある程度の量になると

    処分せざるを得ず、気に入った記事は切り抜いてストックしていて現在も持っています。

     

    今は活字の洪水の時代ですから、読みたい本は次からら次へと引きも切らず、ネットで

    買う蔵書も増える一方なのですが、ドラマに刺激されて又「暮しの手帖」を購読し始めました。

     

    あの時代、宣伝をとらないというスタイルを貫いた常子さん、いや鎮子さんの姿勢は立派ですね。

    ドラマを見ながらつくづくそう思います。

     

     

    今日はドラマに刺激されて、すこしノスタルジックな内容になってしまいました。

    ではまた。

     

    お詫び

    前回ご紹介したキクバドコロは、カエデドコロでした。

    (葉の切れ込みが違っていました)

    これもフェイスブックの生物の識者の方から教えていただきました。

    お詫びして訂正させていただきます。

     


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    名前を遊山といいます。   大阪府の北部に住んでいます。 京都にも近い山間部です。 近くには安威川が流れています。 川向うは高槻市になります。
    福祉施設の現場や学校などで介護を中心に60才まで就労しました。 今は家人と晴耕雨読の生活です。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥のこと、加えて地域の行事や小さな旅行など 紹介できたらと考えています。

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