大山崎山荘美術館

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    大山崎山荘美術館に行かれたことがありますか。

    京都府乙訓郡大山崎町にあります。

    桂川・木津川・宇治川の三本の川が合流する風光明媚な地にあります。

    大山崎に住んでいる友人と行ってきました。

     

     

    今この美術館では「漱石と京都」と称した展覧会が開催されています。

    (5月28日まで)

     

     

     

    漱石と大山崎山荘の関係

     

    今年は文豪・夏目漱石の生誕150年にあたるそうですが、漱石は4度京都を訪れています。

    その漱石が最後に京都を訪れたのは亡くなる前年、1915年(大正4年)のことでした。

     

     

    在京中に、祇園の文芸芸妓で名高い磯田多佳から実業家の加賀正太郎を紹介されました。

    加賀正太朗は関西の実業家で証券会社を経営していました。

    22才の時にはヨーロッパに遊学して多くのことを吸収して帰国したそうです。

     

    漱石が山荘を訪れた当時、加賀正太郎は鉄筋コンクリート(外観は和風の)建物を建築中でした。

    チューダ様式の建物から家具調度にいたるまで加賀が自ら設計、デザインしています。

     

    漱石の訪問時、若かった加賀は文豪の漱石に山荘の命名を依頼しています。

    帰京後、漱石は14の名を提案しているのですが、そのやり取りの手紙が展示されていました。

    (何故大山崎山荘になったかという手紙は不明だそうです)

     

     

    現在はアサヒビールの初代社長山本爲三郎が買い取り、美術館となっています。

     

    建物はドイツ製のステンドグラスが各所に使用され、大きな暖炉が当時の姿であります。

    100年前の建物ですが、西洋式バスルームにはラジエターが置かれ、暖房完備です。

     

     

     

    蘭について

     

    加賀正太郎は多趣味な人であったそうで、イギリス滞在中に王立植物園を訪問しています。

    そこで「蘭」に強く魅せられ、帰国後は自宅の温室で蘭の栽培に情熱を注ぎました。

    30年間に育成した蘭の数は、1140種、一万鉢になるとか。

     

    後年、これらの蘭を日本画家の池田瑞月が絵にし、木版画にした作品が「蘭花譜」です。

    蘭花譜も展示されています。

     

                大山崎の友人から借りた「蘭花譜」より
    感想
     美術館は茨木市の我が家から近い事もあって、春に秋に友人とよく尋ねます。
     訪館する度、展示物もさることながら建物や庭には深く感動してしまいます。
      (安藤忠雄さんの地下美術館もあります)
     建物のベランダからの眺めも絶景です。(美味しいコーヒーが飲めます。)
     加賀正太郎さんのことを調べる内、茨木カンツリー倶楽部(ゴルフ場)も彼が
     設立に参画していることを知りました。
     日本人で最初にユングフラウに登攀したのも加賀正太郎さんだそうです。
     広い庭園には枝垂れ桜や、モミジが沢山あるのですが、緑色の桜がありましたので
     ご紹介して終わります。
              御衣黄といいます

     

      美術館の案内ページがありましたので、アドレスを記しました。

      http://www.asahibeer-oyamazaki.com/

     

     

     

     


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    名前を遊山といいます。   大阪府の北部に住んでいます。 京都にも近い山間部です。 近くには安威川が流れています。 川向うは高槻市になります。
    福祉施設の現場や学校などで介護を中心に60才まで就労しました。 今は家人と晴耕雨読の生活です。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥のこと、加えて地域の行事や小さな旅行など 紹介できたらと考えています。

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