隠れキリシタンの里

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    茨木市北部に「千提寺」という集落があります。

    隠れキリシタンの里とも呼ばれている千提寺の「キリシタン遺物史料館」を訪ねました。

     

     

    茨木駅からバスで50分ほどの距離にある村落は、三方を山に囲まれた静かな山里です。

    この山里で、キリシタン遺物が発見されたのは今からおよそ100年ほど前のことでした。

     

    発見された遺物

       ロレータ聖母子像

     

     教会堂を背景に、幼いキリストを抱いた聖母マリアが表されています

     ヨーロッパで作られ、日本にもたらされた。

     

     ロレータというのは、イタリアの聖地。

     マリアの生家がシリアから海を越えて飛んできたとされる一大巡礼地。

     本作品と同様の作品がイタリアやドイツで確認されている。

     

     

    実はこの地は、キリシタン大名として有名な高山右近が高槻城主であった頃、高槻藩の

    領地でした。写真は高山右近の像

     

     

     

    高山右近やキリシタン信仰にまつわる伝説が多く残っていたことから、地元の藤波氏が

    村の家を一軒一軒回って調査され、屋根裏や納屋から多くの遺物を発見されたのです。

     

       天使讃仰図

     

        合掌礼賛の天使の姿が表された銅版画

        周りはラテン語の祈祷文とそれを図解したものが描かれている  

     

     

     

    史料館には、藤浪氏の努力で発見された多くの貴重な遺物が展示、保管されています。

    「あかずの櫃」や竹筒の中に隠されていた信仰に使われた遺物を見てきました。

     

    (ただ館内、写真撮影は禁止されていましたので、絵葉書をアップしています。)

     

     

    ビデオ解説によれば、千提寺の墓地から発見された石には、「上野マリア」の

    名前が刻んであったそうです。

    石の表面は風化していましたが、拓本をみるとそれと読むことができました。

     

    禁教時代、かくれキリシタン達は、表向きは地元のお寺・高雲寺の檀家となって

    葬式などは仏式で行っていたが、内密には各家の天井裏や部屋の隅の押入れなど

    を利用して祭壇を設け、深夜にひと目を避けオラーショを唱えていたと言います。

     

      厨子入り象牙彫キリスト磔刑像

     

             

     

     

    江戸時代、幕府の禁教命令にもかかわらず、山間部に位置するこの小さな山里で信仰が

    秘密裏に守られていたことに、あらためて大きな驚きを感じました。

     

     

     

     

    PS1   記念館の隣には、オラーショ(祈祷の歌)を歌えた最後のご婦人のお家がありました。

     

    PS2  私は若い頃、福祉事務所に勤務していたのですが、当時民生委員をしておられた

        藤浪さんに何度かお会いしたことがあります。

        その頃でも、元気のよい魅力的な白髪のご老人でした。

     

    PS3  キリシタン遺物館は、茨木市立の資料館です。入館料は 無料です。

     

    PS4  青字は史料館の資料から抜粋してまとめてあります。

     

     

     

     

     

     

     

     


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    名前を遊山といいます。   大阪府の北部に住んでいます。 京都にも近い山間部です。 近くには安威川が流れています。 川向うは高槻市になります。
    福祉施設の現場や学校などで介護を中心に60才まで就労しました。 今は家人と晴耕雨読の生活です。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥のこと、加えて地域の行事や小さな旅行など 紹介できたらと考えています。

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