白井河原の蛍合戦

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    下の絵は、摂津名所図会に描かれた、白井河原の蛍狩りの絵です。

     

              着飾った女性達が、浅瀬の岩伝いに河原に降りていく様子

              子供達も蛍を捕まえようと網らしきものを振り回しています

     

    白井河原というのは、実は我が家から自転車で10分とかからない近隣にあります。

     

    ここが昔から「蛍の名所」だったという話は、義母から聞いて知ってはいたのですが、

    摂津名所図会にその絵が載っていた事は知りませんでした。

     

    茨木市教育委員会が発行している「茨木の歴史」という本があります。

    その本の裏見返しにあるのがこの絵です。

     

                                                     

    いつも通り慣れた場所ですが、現在の白井河原を写真に納めてきました。

     

                            

    2本の川が合流しています。

      画面右から左へ流れているのが佐保川。

      画面中央から流れ込んでいるのが勝尾寺川です。(箕面から流れて来ている) 

     

    2本の川はここで合流して茨木川となリ、その後安威川に合流します。

     

    江戸時代には堤がなく、広い河原が広がっていたのだそうです。

     

    同じ教育委員会編纂の「わがまち茨木」の民話・伝説編には、「白井河原の蛍合戦」

    の昔話が載っていました。

     

    民話編からの抜粋です。

       白井河原の蛍合戦

     

       毎年初夏になると、村人は日暮れ頃になると酒肴を持ち寄り、

       むしろを引いて河原に陣取った。

       宵闇が暗くなる頃に、遠くからゴオーというかすかな羽音が聞こえ、

       蛍の集団が近づいてくる。

       やがて東からと西からと蛍の大集団が近づいてきて白井河原の上空で

       激しくぶつかる。相当数の蛍が流れ星のように落ちる。

     

       河原で見物する人たちはその壮観さに思わず歓声を挙げて見守っている。

       しばらくして蛍の集団はいずれかに飛び去る。

     

    「蛍のゴオーという羽音が聞こえる」

    一寸信じられない表現ですが、そんな情景や楽しい風習があったのですね。

    多分、蛍の交尾の時期に合わせて「蛍狩り」の優雅な遊びがあったのだと思います。

     

    そう言えば、50年程前この地に越してきた頃、佐保川に蛍が飛び交う様も見られました。

       

                                                                            

     

    「茨木の歴史」は初版が昭和48年、平成8年には改訂版が発行されています。

    我が家にも隨分前からありましたのに、じっくり読んでいませんでした。

     

    (摂津名所図会は、1796年から1798年に刊行された、9刊12冊の地誌です)

     

    自分が住んでいるこの地の歴史を、少しずつ紐解いていければと思っています。

     

                                                 

     この日合流地点では、男の子と父親らしき人影が魚を捕まえている様子が見られました。

     

     

     


    白いスカシダワラ

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      裏山に1本、花柚子の木があります。

      実は我が家の庭木だったのですが、2〜3年前裏山に植え替えたものです。

      柑橘類ですから当然アゲハチョウが良く卵を産みに来ます。

      やがて大きな幼虫になるのですが、青虫に弱い娘の希望で植え替えました。

       

      その花柚子の木にクスサンが今繭を造っています。

      (以前のブログに書きましたが、大きな蛾の名前です)

       

      偶然に見つけました。

      「あれ〜、蜘蛛の巣にしては変な形」と近づいてみると、なんとクスサンの幼虫が

      目下、繭の造営中でした!

      (6〜7月に楕円形の繭を造って蛹になり、9〜10月に羽化する)

       

       

      造営中の幼虫の目がハッキリ目視できました。

      慌ててカメラに納めた1枚です。

       

      考えてみれば当たり前のことなのですが、初め糸は真っ白なのですね〜。

      まるで白いレースのチュールをまとったかのようです。

       

       

       

      糸を撚り合わせた繭は、網目状に穴があいているのでスカシダワラと呼ばれるのでしょう。

       

       

       

      今年の春・3月に見つけた「スカシダワラ」からは結局クスサンは羽化しませんでした。

      6月の今になっても下の写真のような状況です。

       

      他にも羽化していない繭を2個見つけましたから、総ての繭から成虫が羽化するのでは

      ないのですね。自然界の厳しさを垣間見た思いです。

       

      堅いままのスカシダワラ

       

       

       

      弁明(娘のために)

       

      今を去る・・十年昔の出来事です。

       

      私が飼っていたアゲハの幼虫が、蛹になる場所を求めて、こともあろうに

      娘がはいていたスカートの上を這っていたことがありました。

       

      それ以来、娘は青虫が大嫌いになりました〜。

      情操教育のつもりが、娘には悪影響しか与えなかったというお話です。

       

      青虫のケージのふたが開いていたのですね〜。(オソマツでした)

      いまだに恨まれています。

       

       

       

       


      オカトラノオ

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        裏山にオカトラノオが咲いています。

        トラノオ(虎の尾)の名前のついている植物は沢山あるそうですが、

        このオカトラノオはサクラソウ科に属しています。

         

        図鑑で調べると、陽当りの良い平原や山地に咲くとありますがどちらかと言えば

        半日影のわが裏山でも今花盛りです。

         

        地下茎(赤色をしています)で増えるので小さな群落になって咲いています。

         

        直径2〜3ミリの小花が房になって、花穂をなしている様子は可愛いですよ。

        先端が少しそっくり返っています。

         

        植えた覚えはありませんから、種が飛んで来たのでしょうか。

         

         

         

         

         

         

        同じサクラソウ科に、ヌマトラノオというのもあるそうですが、見たことはありません。

        沼地や湿地に咲くそうですから、この次安威川の堤防あたりで探してみましょう。

         

         

         


        紫陽花

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          すっかりご無沙汰してしまいました。

          一寸嬉しい出来事があって、東京まで出かけておりました。

          その間にすっかり裏山の様子も変わっています。

          梅雨に入ったのに、降ったのは初めの2日間だけでその後は晴天続きですね。

           

          梅雨時の花といえば「紫陽花」でしょうか!

           

          最初に咲き始めたのは、カシワバアジサイでした。

           

           

          初めて見たのはもう15年位前のことになりますが、その大きさに驚かされました。

          1枝戴いて増やし始め、今では10株以上に増えています。

          花の白さも綺麗ですが、円錐状に花をつけるのが変わっていますね。

          欠点はあまりに大きいので、雨に当たると頭を垂れてしまうことでしょうか。

           

           

           

          これはスミダノハナビ、いわゆる額紫陽花ですね。

           

          ヤマアジサイはもともと額紫陽花だと聞いていますが、色も形も種々あります。

           


           

           

           

           

           

           

          私が花の柔らかさに惹かれているのはアナベルです。

           

           

          花びらがまるでレースのようです。

          色は七変化することなく、純白です。直径15センチばかりあります。

          代表的な、西洋アジサイだとか。

           

          面白いものもあります。

           

           

          アナベルとは反対に、花びらが肉厚です。触ると堅く感じられます。

          いじけているような感じです。

           

           

          なんと名前は、オタフクアジサイというそうです。

          どうしてでしょう!

           

          次は名前が分からないのですが、ピンクのアジサイです。

           

           

          昔からよく見かけるアジサイに似ていますが、ピンクから色は変わりません。

           

           

          雨が降らないので、色が隨分と濃いですね。

           

          最後にもう1枚、名前が分からないのですが、紫色の濃い紫陽花です。

           

           

          お楽しみいただけましたでしょうか。

           

           

           

          この地に来て10年になります。ご厚意で裏山を使わせていただいていますが、

          木や花を育てて分かったことは、紫陽花のような低木でも寿命はあるようです。

          古い木は花数が少なく、挿し木で増やした方は元気で花も大きく数も多いです。

          世代交代ってあるのですね。

           

           

          実は我が家にも、十数年ぶりに孫が産まれました。(元気な女の子でした。)

          お読みいただいて有難うございました。ではまた。

           

           


          ササユリ

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            このブログで何度か取り上げたことのある「大門寺」さんへ行ってきました。

            新緑が進んで木々の緑が濃くなっています。

            そうです、もう6月なのですね。

             

            門前に広がるモミジ、時々ウグイスの声も聞こえてきます。

             

             

             

            何度も来ているのに気が付きませんでしたが、山門の屋根には菊の御紋が見えます。

             

             

            お目当ては「ササユリ」なのですが・・

             

            おお〜咲いていました。薄いピンクの花が一輪。

             

            蕾の数の方が多いですね。

            でも広い境内に、あちらに一つ、こちらに一つ、

            スラリと背が高いです。(細い支柱が支えています)

            茎が隨分硬質です。葉は笹のように細くシャープです。

            甘い香りが漂って、私は十分満足です。

            奥の方に少しピンクの濃いのが見えています。

             

             

            アップにしてみました。

             

            ここまでくるのに何年かかっているのでしょう。

            ネットで調べると、種がこぼれてから初めての花が咲くのに7年!

             

             

             

            足元には草丈10センチにも満たない白い花が一面に咲いています。

            シーズン・シーズンのお花がよく手入れされているのが、伺えます。

             

             

            帰り道、境内の目立たないところに白のホタルブクロが群れ咲きしていました。


            白のホタルブクロ清楚ですね。

             

             

             

            我が家には紫色のホタルブクロがあるのですが、ランタンにするには白でしょうね。

            1株欲しいな〜と思いましたが、周りにどなたもいらっしゃらないようなので・・

            諦めて帰りました。

             


            聖徳太子御廟と叡福寺

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              聖徳太子のお墓へ行ってきました。

              大阪府南河内郡太子町にあります。(近鉄長野線・貴志駅からバス・太子前下車)

               

              聖徳太子磯長御廟について

               

              磯が長い、と書いて「しなが」と読みます。

              この辺りは蘇我氏ゆかりの地ですから、蘇我氏の血を引く太子が葬られたのでしょうね。

               

              太子墓は、径50メートル、高さ10メートルの小高い円墳です。

              内部は精巧な切石を用いた横穴式石室になっています。

              太子と太子の后・膳部郎女(かしわべのいらつめ)と母の間人皇后(はしひとこうごう)

              の3人の石棺が収められているので、三骨一廟と呼びます。(太子町ホームページより)

               

               

              午前中に見た仁徳陵のスケールとは比較になりませんが、太子が亡くなったのは、

              西暦622年のこと。古墳時代はすでに終わりをつげ、飛鳥時代へと変遷してから

              のことです。(円墳であることに驚きました。)

               


               

              江戸時代までは、参拝のために石室まで入られたそうですが、明治になり入場が

              規制され明治12年に修復調査がされた時、横穴入り口はコンクリートで固めて

              しまったため現在は封印の状態です。(入り口には立派な扉がありますが・・)

              結界石490本が2列に並んで墳墓を取り巻いていました。

               

               

               

              叡福寺について

               

              叡福寺というのは太子の死後、推古天皇が墓守の住む堂をたてのがその始まりだそうです。

              織田信長の兵火で一度焼けていますが、豊臣秀頼が伽藍の再興をしたと説明にありました。

               

              広い境内には、多宝塔、金堂、聖霊殿、御堂、浄土堂、念仏堂などが整然と並んでいます。

               

               

               

              伝説では太子は「黒駒」という名馬をもっていてその馬で富士山を駆け上り、都まで戻る

              のに3日しかかからなかったとか。

              その富士山と太子の絵の複製が、金堂の前に掲げてありました。

               

              多宝塔(国の重要文化財)

               

               

              これは入り口の南大門におられた仁王様です。

              門の大きさに比較して、一寸貧弱、もしかすると像は古いのかも知れません。

               

              御廟前の像(天のお一人)、こちらは色鮮やか、新しいものなのでしょうね。

               

               

              感想

              聖徳太子といえば、古代史の中では最も有名な人物。

              倭国が豪族による連合政権から律令国家へと生まれ変わる過渡期の時代にあって

              遣隋使を派遣するなどして国内の制度を整えることに邁進していた聖徳太子。

               

              この時代の歴史本を読むと、太子にまつわる秘話が沢山書かれていて面白いですね。

              用名天皇の正統な皇子であった太子が、何故摂政という立場で推古女帝を支えたのか?

               

              学校では習わなかった太子の国際感覚(太子の家庭教師は高麗人)韓国語や中国語を

              自由に操っつたという才能など知れば知るほど惹かれます。

               

              次は飛鳥板葺宮後など尋ねてみたいと思ったことです。

               


              仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)

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                いきなりで恐縮ですが、日本に古墳はどのくらいあるでしょう。

                  1800基   ◆12000基    20万基

                 

                う〜ん、20万は違うとして、1800? 12000?  どっちだろう?

                とお考えの方多いのではないでしょうか?

                 

                正解は20万基です。  え〜嘘でしょう。そんなにはないでしょう!

                 

                ところがあるのです。以下は堺市の観光資料からの抜粋です。

                 

                  今から1700年程前の3世紀から7世紀の400年間、大王や王が亡くなると、

                  土や石を使って高く盛った大きな墓を造りました。今この墓を古墳と呼び、

                  造っていた時代を古墳時代と呼びます。

                  全国に20万基以上はあると言われる古墳の中で、日本最大の古墳が堺市に

                  ある仁徳天皇陵です。

                 

                行ってきました。仁徳天皇陵

                 

                陵墓の正面に鳥居が建っています。

                鳥居は神域と人間が住む俗界を区画する結界ですから中に入ることはできません。

                 

                古墳の広さは濠を含めると、約47万平方キロメートル(甲子園球12個も造られる)、

                墳丘の全長は、486メートル、

                古墳を上空から見ると、円と四角を合体させた前方後円墳、

                墳丘の周りには、水を湛えた堀(濠)が3重に巡っています。

                 

                1日、2000人の人々が働いたとして、15年以上かかったと推測されています。

                 

                堀の周囲は歩道が整備され、1周2800メートルを散策することも、サイクリング

                することもできるようになっていました。(半周だけ歩きました)

                 

                墳墓にはこんもりと新緑の木々が茂り、堀(そんなに深くなさそう)には亀や鯉の姿

                が、そしてそれらを狙うシラサギやアオサギのゆったりした姿も見受けられました。

                 

                 

                古墳の北には反正天皇陵古墳と、南には履中天皇陵古墳がありますが、百舌鳥耳原三陵

                として宮内庁が管理しているため中に入ることはできません。

                (発掘したり、科学の目で調査出来たらいいのに〜と思うのですが?)

                 

                 

                             堺観光コンベンション協会のパンフレット から

                 

                 

                 

                百舌鳥古墳群・古市古墳群について調べてみました。

                 

                    4世紀末から5世紀にかけて、中国大陸や朝鮮半島との交流が盛んになると、

                    難波津から奈良盆地へといたる「単比道」や「大津道」といった道路が整備され、

                    藤井寺市と羽曳野市にまたがる古市地区、堺市にある百舌鳥地区は二つの道路で

                    繋がっていました。

                    両地区では巨大古墳が造営されはじめ、大小あわせ90基もの古墳が集中していた

                    そうです。

                 

                    難波津は今の大阪市法円坂付近(上町台地の西端)にあり、 大陸文化の入り口でした。

                    5世紀ころの海岸線は、海抜3メートル付近にあり、百舌鳥古墳群は海に面していたと

                    いいます。

                                以上seibido mookの「図解・古代史」から

                 

                 

                奈良盆地と大阪平野がそんな風に繋がっていたとは、方向音痴・歴史音痴の私には驚きです。

                 

                 

                 

                被葬者とされる仁徳天皇とはどんな人物?

                 

                日本書記や古事記によれば、「集落の人家から飯を炊く煙が上がっていないのを見て、民衆の

                窮乏を知り、税や課役を免除して自ら倹約に努めた聖帝」となっていますが(小学校で習った)

                実際にはどんな人物か特定できていないようです。

                 

                中国の歴書(宋書)に倭の5大王という記述があるそうですが、ここからも特定できないとか。

                 

                 

                 

                いずれにせよ、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵、そして仁徳天皇陵古墳、

                 

                世界3大墳墓の一つといわれるだけの規模はありました。 荘厳さも感じることができました。 

                 

                 

                午後からは、聖徳太子陵墓へ行って来ましたが、それについては又後日ご報告させていただきます。

                 

                 


                裏山のキンラン

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                  裏山のクヌギの木の周りに、目下キンランが満開です。(5月17日現在)

                   

                   

                  毎年5月に入ると、うす緑の新芽が土から顔をだしはじめ、10日ほどの間に

                  およそ30センチ位の高さにまで伸びます。

                   

                  先端に1センチばかりの黄色い花を多いもので10個前後、すくないものだと

                  2〜3個つけます。

                  蘭ですが、華やかさは控えめで花びらを閉じている時が多いですね。

                   

                  幹周りが太く10メートルはあるクヌギの周囲をくるりと取り囲んで咲きます。

                  数えたことはないのですが、20本以上咲いています。

                   

                   

                   

                  何故クヌギの周囲にだけ出るのか調べてみました。

                   

                  ラン科植物のラン菌は、普通落ち葉や倒木を栄養源にして生活しているそうですが、

                  キンランの場合は、共生する木が決まっているそうです。

                  共生相手から糖分やアミノ酸をもらい、木へは土中のミネラルを供給しているのだとか。

                   

                   

                  自生地からキンランを掘って移植しても、5年程度で枯死してしまうのはそのせいです。

                   

                   

                  ありふれた和蘭の一種だったのに野生ランブームで乱獲がすすみ、1990年頃から急激

                  に数を減らしたため、1997年には絶滅危惧種粁爐坊悩椶気譴燭修Δ任后

                   

                   

                   

                  花弁は5枚ですが、よく見ると唇弁には赤褐色の隆起があります。

                  葉は縦方向にしわが多く、柄は無くて茎を抱くように7、8枚が互生しています。

                   

                   

                   

                  ところがこのクヌギ(去年くらいから)木の根っこから、茶色い液体が流れ出ています。

                  カブトやクワガタが集まる樹液ではなさそうなので、とても心配しています。

                   

                   

                  木にも寿命があるのか、何か虫か病原菌がついたのでしょうか?

                   

                   

                  最後に今年はとても綺麗に花をつけた、ガマズミの写真を添付いたします。

                   

                   


                   

                  遠くから見ると、そこだけぽ〜っと明るく、陽を浴びると白さが浮き立ちます。

                  秋には赤い実をつけるのですが、今から楽しみです。

                   

                   

                   


                  ジャケツイバラ

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                    ジャケツイバラをご存知でしょうか?

                     

                     

                    上の鮮やかな黄色の花をジャケツイバラといいます。

                    「蛇結茨」と書きます。

                    絡まって咲く様子が、まるで蛇がからんでいるように見えるからだそうです。

                     

                     

                    この茨が咲いている場所は、安威川ダム(目下建設中)へと通じる桑ノ原大橋の真下です。

                    橋の上からカメラを望遠にして、写してみました。

                     

                     

                    花は登り藤のように、房になってしかも上向きに咲きます。

                    花には「シシモドシ」と異名をとるくらいの鋭いトゲがあるそうです。

                    幹にも細い枝にも葉柄にもトゲがあって、他の木にひっかけて高く這い上がっていきます。

                     

                     

                    「里山のつる性植物」には、

                    木の高さは普通1〜2メートル、数メートルに達するものもある、とありますが、

                    かなり高い木ー10メートル位はありそうな木の頂上まで黄色に染まっています。

                     

                    「陽当りの良い林縁や川岸に、5〜6月に咲く」そうですが、まさにそのとおり。

                    下を安威川が流れていますから、きっと土地も肥えているものと思われます。

                     

                     

                    秋には扁平な鞘の中に楕円形の種子ができるのですが、「有毒なので要注意」とあります。

                    綺麗な花には、トゲもあり、毒もあるといったところでしょうか。

                     

                    いずれにせよ、鮮やかな黄色い花が一面に咲いているのは見事というしかありません。

                    立夏に入ったばかりの、茨木市北部からのご報告でした。

                     

                     

                    「里山のつる性植物」はNHK出版から出ています。

                     著者は、谷川栄子  写真は、本間秀和 

                     


                    阿為神社例祭

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                      書くのが遅くなりましたが、5月4日は、阿為神社の例祭でした。

                      九連休の中日、朝から晴れ渡った素晴らしい祭り日和でした。

                       

                       

                      午前8時から渡御式があるということで、自転車で阿為神社へと急ぎました。

                       

                       

                      神社ではすでに神輿が拝殿前に安置され、社殿の中では御渡式が行われていました。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      渡御式というのは正式には神幸祭のことです

                      神幸祭とは

                       神霊が宿った御神体を神輿に移し、氏子地域の行幸や、御旅所までの

                       往路また復路の安寧を祈念する祭りの最も重要な祭事のことです。

                       

                      阿為神社の場合、

                       御神体は、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)と云われています。

                       御旅所は、神社から南へ1.5キロ程行った所にあります。

                       (西国街道に面した御旅所については、後日訪問してみたいと思っています)

                       

                      神輿の行列は9時30分に神社を出発、11時には御旅所へ到着。

                      午後1時御旅所を出発して4時には神社へ帰ってきます。

                       

                      一番のハイライトは、神社横にある大念寺の階段を神輿を担いで、駆け上るのですが、

                      今年は所要があって、見られませんでした。

                       

                       

                      申し訳無いですが、何年か前に絵にしたものがありますのでアップしてみます。

                       

                       

                                            ( 水彩60号です)

                       

                       

                       

                       

                      提灯の宮入  (夜の献灯・お神楽)

                       

                      午後8時から、夜の神事がありました。(それには間に合いました。)

                       

                       

                       

                      暗闇のなか若中と書かれた高張提灯を掲げて神殿前の階段を登って来られる光景は、

                      なかなか風情があって感動的でした。  

                          

                             重い神輿をかく(担ぐ)若中は、18才から25才までの未婚の男子。

                            若中の長を「帳元」、副を「帳脇」という。

                        昔は熊野節という歌を歌いながら登ったという。

                         

                       

                       

                      一行は拝殿前に整列し帳元が床几に座って、神官の祝詞が始まります。

                       

                       

                      神殿では神楽が奉納されます。

                       

                       

                       

                                                                                    

                       

                       

                       

                       

                                               やがて提灯の火が消されて祭礼が終わります。

                       

                       

                       

                       

                      安威地区に永く住みながら、他市から転居してきた者にとって地域のお祭りには

                      どこか傍観者的なところがありました。

                      数年前、阿為神社の近くに居を移してからは、祭礼がとても身近なものとなり、

                      特にブログを書き始めてからは、もっと深く知りたいと思うようになりました。

                       

                      昨年、各地区(3地区)で飾るだけの「山車」のことをブログに書きましたが、

                      その謂れを知りたいと、地区の古老を尋ねしました。

                      残念ながら詳細は分かりませんでした。

                       

                      この2枚の写真は去年のもの。山車の側面の刺繍です。

                       

                      その代わりに戴いたのが「安威郷土史」です。

                      平成2年から3年かけて編集されたという、大変立派な郷土史です。

                       

                       

                       

                      「日本書紀」の中に「藍野陵」という言葉があるそうですが、古墳時代にまで

                      遡ることの出来るこの地区「あい」の歴史を学ぶのには時間がかかりそうです。

                       

                      今回は「阿為神社祭礼」に関するところを参照して、この項書かせて頂きましたが、

                      今後少しづつ現地を尋ねた上で、書いてみたいと思っています。

                       

                      まとまりの悪い文章を読んでいただきありがとうございました。

                       

                       

                                                                             

                       

                                               帳元らしき方が着ておられた法被。

                       

                       

                       


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                      profilephoto ■ニックネーム 遊山 ■住んでるところ 大阪府   60歳まで福祉畑で仕事していました。 70歳を過ぎた現在は、夫と100歳になる実父との超高齢世帯です。 京都に近い北摂の山間部で生活しています。恵まれた環境ですが少し不便です。 旅行が好きでスケッチ旅行に何度か海外へ行きましたが、介護が始まってからは、もっぱら京都や奈良の美術館巡りです。 ブログでは裏山に自生する植物や野鳥、昆虫などの紹介をしたいと考えています。 写真は素人ですが、さりとて上手な絵が描けるわけでもありません. 時々「へたな横好き」のスケッチをupしたいと思います。

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